勤務校で舌禍事件が発生しました。

やらかしたのは非常勤講師の先生で、授業中にちょっとした雑談から生徒の誘導尋問に乗せられて、過去の「夜のお遊び」経験を披露してしまったというもの。どの程度、詳細に情景・行動・会話を描写したのかは、わかりません。

男子生徒は盛り上がっていたものの、一部女子生徒が不快感を覚え、授業後に担任に相談。そこから管理職に報告が上がって、関係者の事情聴取で事実確認→教育委員会に報告→校長と張本人の講師が生徒に謝罪という経緯で、とりあえず一件落着した模様です。

「夜のお遊び」か。軽率といえば軽率でしたね。管理人であれば、そういう話をふられたとしても「夜の話は夜しかしない」と一蹴します。実際、その手の話が苦手な生徒もいますから。

ただですね、学校を温室化してしまって、3年間冷たい風に当てないように育成し、さあ卒業。それと同時に強烈な世間の波風にさらされて、速攻ダウン……という事例が過去にありましたけど、とにかく「くさいものに蓋」というスタンスには、どうも疑問を感じるわけです。

そもそも不快感という、あいまいな個人の感覚を基準とするのって、どうなんでしょうかね。

授業中の雑談で

「今朝もまた出勤途中に電車が遅れたよ。だからJR線って乗りたくないんだよな」

保護者がJRに勤務している生徒は不快感を覚えるかもしれません。

「うちの奥さんの圧力で、また小遣いを下げられた。たった3万円だよ」

より経済的に困窮していて、1,000円単位のお金のやりくりにも苦労している家庭の生徒は、不快に感じるでしょう。

極端なことを言えば

「中間試験の答案、あれはなんだ。おまえら、少しは勉強したのか!?」

なんて説教されて、快感を覚える生徒はきわめて少数です。

下手に雑談なんかしていると、話の流れでどういうことになるかわかりませんから、要するに

雑談はするな、機械的に指導要領にのっとった授業だけしていろ

ということのようです。NHK教育の番組を1年間視聴させればOKですね。

「普通にしていればいいんじゃないの」という教員もいましたが、その“普通”の基準が、生徒とズレている部分もたぶんにあるし。

まったく、せちがらい世の中になったものです。