前回に引き続き、「総合的な学習の時間」についての考察です。
理想と現実とのギャップに悩まされつつも、噴出するさまざまな問題にそのつど対処しながら、現場の教員は精一杯「総合的な学習の時間」に取り組んでいるわけですが、管理人の目から見て、現勤務校においては根深い問題が二つあります。
1.テーマ選択の過程でモチベーションを低下させる生徒が相当数いる。
まず生徒は、興味・関心に応じて自分なりにテーマ(仮)を決め、そのテーマと選んだ理由等を書き記したペーパーをたずさえて、学術分野別の担当教員による一次面接に臨みます。
「研究」になりそうだと教員が判断すれば二次面接へ。何か問題があれば、教員の指導に基いてテーマを変更あるいは部分修正します。
二次面接では一次とは別の教員が内容をチェックして、クリアすれば晴れてテーマ正式決定となるわけですが、この過程で、生徒にとっては純粋に好きな(研究したい)ものではないテーマにねじ曲げられてしまうのです。
教員サイドからすると、何らかの形で進路決定に寄与できるものにしたいという思いがあるので、どうしても進路に直結する事柄、またはその周辺領域といった無難なテーマを勧めがちになるのですが、生徒が納得しない限り、それはモチベーション低下につながってしまいます。
2.Word文書の体裁にこだわり過ぎる。
研究の内容は、もちろん論文にまとめます。手書きではなく、Wordを使って打ち込んでいくのですが、これがありえないほどの大仕事になっています。
教育の世界全般がそうなのか、それとも本校が独特なのか、半分以上お役所に足を突っ込んでいるような環境だからそうなるのかわかりませんが、「総合的な学習の時間」を含む学習指導のみならず、校務全般にわたって、文書の体裁を整えるのに異常な情熱を燃やすのです。
こだわりの程度は半端ではなく、上下左右20ミリの余白というのは許せるとしても、行頭の字下げが2ミリ大きいとか、センタリングが3ミリ左に寄っているといったミリ単位のクレームや、「2」は全角で「22」は半角とか、「①」の後ろには半角(全角だとダメ!)空白1つといった全半角の問題、その他もろもろ……キリがありません。
生徒は、その数ミリのために時間をかけてWord画面とにらめっこをするわけですから、これは管理人でもイヤになります。
校外に広く流れる公式文書ならいざしらず、生徒の論文ですよ。
そういう涙ぐましい努力を費やして作成・編集した論文集が、最終的にどうなるのか。念のために担当分掌に聞いてみたところ、1冊は教育委員会に提出→保管、1冊は本校図書室に保管とのこと。お役所仕事、ここに極まれり!
教育委員会の目を気にして、体裁にこだわっているのかもしれませんが、多忙な教育委員会の職員が、物差し片手にインデントのずれをミリ単位でチェックしますかね。
そういった二義的な仕事はカットして、研究の内容の充実やコピペの摘発に注力すべきだと思うのですが……。
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